日本分析化学専門学校
について

学校法人 重里学園 - EDUCATION FOUNDATION JURI GAKUEN

TRAJECTORY

大阪天満

113年ぶりに復活

日本初の化学校

そして40有余年

舎密局初代教頭ハラタマ博士

舎密局初代教頭
ハラタマ博士

シェイミキョク

舎密局(化学学校)から
日本分析化学専門学校へ

明治2(1869)年5月1日に、日本唯一の分析化学者を育てる「舎密局」という学校で、オランダ人ハラタマ博士によって化学教育が始まり、昭和57(1982)年4月に学校法人重里学園が113年ぶりに「日本分析化学専門学校」として復活させ今日を迎えた。本校は、分析化学者を専門に育てている日本唯一の学校である。

舎密局(化学学校)から 日本分析化学専門学校へ
舎密局(ハラタマコレクション)
明治2(1869)年 設立
学校法人 重里学園 理事長 重里國麿 学校法人 重里学園
理事長 重里國麿
日本分析化学専門学校昭和57(1982)年 設立 日本分析化学専門学校
昭和57(1982)年 設立

教育内容の決定

目指す分析化学教育は、
ドイツのフレゼニウス科学大学

FRESENIUS UNIVERSITY OF APPLIED SCIENCES

分析化学の教育内容は、19世紀のドイツ国家の繁栄に貢献してきた素晴らしい化学技術の発展・進歩には「フレゼニウス・ラボラトリ」の科学技術校の存在が大きく、これからの日本にとって必要なのは、この「フレゼニウス・ラボラトリ」と同様に、卒業生が日本の繁栄に寄与し、職業を問わず全ての道に通じる「分析化学技術者」を育成することこそが学校としての最大の使命とすることになりました。「日本分析化学専門学校」はドイツのフレゼニウス科学大学を目指して設立されました。

住所Limburger Strabe2 Idstein 65510, Germany

電話+49 6126 93520

フレゼニウス大学は、分析化学の大家のフレゼニウスが設立。 科学の授業で167年の伝統があります。メインキャンパスは、ヴィースバーデンの近く、イトシュタインにあります。1848年、カール・レミギウスフレゼニウスは、自身の教育人生を捧げたフレゼニウス化学研究所を設立しました。それは非常に実用的な実験室で、1971年には、応用科学の私的後援大学として認可されました。

ドイツ人化学者(1818年~1897年)カール・レミギウス・フレゼニウス (Carl Remigius Fresenius)
ドイツ人化学者(1818年~1897年)
カール・レミギウス・フレゼニウス
(Carl Remigius Fresenius)
設置学科
「ビジネス&メディア学科」
「化学&生物学科」
「医療、衛生、社会学科」
「デザイン学科」
開校場所の選定

開校場所の選定

分析化学教育 発祥の地・天満に決定

日本分析化学専門学校の誕生

この天満の近くには、明治2年5月にオランダ人、K.W.ハラタマ先生が日本で初めて化学学校を設立し、舎密局(シェイミキョク)として開校し、その2年後 明治4年には分析化学技術で日本で初めての造幣局もこの地に誕生しています。学校は大阪の中心地、Osaka Metro谷町線、京阪電車の「天満橋駅」で下車、元松坂屋百貨店から北方、大川の橋を渡るとすぐのところにあります。ここは、大阪に一つだけの二重橋があり大川(旧淀川)が流れ、中之島公園の東方に位置し、学問の神社で有名な「天満宮」を中心に、近くには緒方洪庵の適塾、大阪歯科大学、大手前病院、国立大阪病院等、学問の街を形成しています。 また、大阪城、大阪府庁、市庁、合同庁舎、裁判所をはじめとする官庁街も徒歩圏内にあり、OMMビル、大林ビル、キャッスルホテル等のビジネス街とも隣接し、桜の名所「造幣局」があり、夏には日本三大祭りの「天神祭」が催され、大阪を代表する文化の香り高い環境に位置しています。

※舎密(シェイミ)はオランダ語、日本語では化学、英語ではケミストリー

舎密局職員と役人 舎密局開校記念(明治2年5月1日)

(日本の化学の開拓者たち(芝哲夫著)より)
(日本の化学の開拓者たち(芝哲夫著)より)

上(左から)
西本清介 (大阪府権弁事)
宇都宮靱負 (外交官)
平田助左衛門 (舎密局御用係)
田中芳男 (舎密局御用係)


下(左から)
土肥真一郎 (大阪府外交官)
緒方惟準 (大坂医学校校長)
ピステリュース (オランダ副領事)
ボードウィン (大坂医学校教頭)
西園寺雪江 (大阪府権判事)
ハラタマ (舎密局教頭)
三崎嘯輔 (舎空局助教

第1回入学式 初代校長 品川睦明先生 式辞(1982年、昭和57年4月)

舎密局職員と役人初代校長 品川睦明先生 式辞(1982年、昭和57年4月)

品川 睦明 (しながわ むつあき)
理学博士(大阪大学名誉教授)
日本分析化学専門学校 初代校長 (1982年~1985年)

1913年広島にて出生、第六高等学校卒業

1937年京都帝国大学理学部化学科卒業、石橋雅義教授に師事

1951年広島大学理学部教授(分析化学講座担当)

1961年大阪大学工学部教授(原子核・化学工学担当)

1977年大阪大学名誉教授

1982年日本分析化学専門学校初代校長

    化学セミナー開催、分析化学実験・半導体化学・電気工学担当

1985年日本分析化学専門学校名誉教授

1989年正四位勲三等旭日中綬章叙勲

同年永眠

(日本の化学の開拓者たち(芝哲夫著)より)
(日本の化学の開拓者たち(芝哲夫著)より)

日本分析化学専門学校 〜創立に関わった人々〜 (1978年・昭和53年9月)

理事長重里 國麿
化学学校の
はじまり
品川 睦明先生
理学博士・大阪大学名誉教授
正四位勲三等旭日中綬章 受賞
学校法人 重里学園品川 睦明 先生
環境教育の
はじまり

学校法人 重里学園

理事長重里 國麿

NPO法人 日本環境管理協会 理事長 紺綬褒章 受賞
安井 良一先生
化学教育のはじまり
安井 良一先生
大阪府立西浦高等学校元校長
瑞宝小綬章 受賞
芝 哲夫先生
化学、蘭学の歴史の
はじまり
芝 哲夫先生
理学博士・大阪大学名誉教授
勲三等旭日中綬章 受賞
林 陽先生
分析化学教育のはじまり
林 陽先生
理学博士・近畿大学名誉教授
瑞宝中綬章 受賞

日本国の先を見た分析化学教育

外務大臣 中山太郎

日本は資源の少ない国であり21世紀を迎えるにあたり、科学技術力に特化していくことこそ求められています。 特に科学技術の中でも大切な研究、開発に携わる人材の育成に気が付かれ、日本初の化学の学校として設立されたことに敬意を表したいと存じます。 日本で唯一つの化学の学校として予想もしない課題に直面されることも多いと存じますが、この日本国に欠かせない人材の育成、 立派に所期の目的を果たされることを心から願い祝辞とします。(入学式式辞より抜粋)

日本国の先を見た分析化学教育
外務大臣 中山太郎先生 入学式式辞

本校教育の特色

  • 他利利自を守る

  • 温故知新を繰り返す

    臥薪嘗胆を行い、

  • 絆を深める

    創意無限の精神で

  • 校訓

学校法人 重里学園は理事長重里國麿が日本で唯一の分析化学及び環境管理の専門学校経営を独自の体験から創意無限流により「絆」を深め、臥薪嘗胆を実行して温故知新を繰り返し、 他利利自を守り生きるを教え自立人を育てます。

学校法人 重里学園 理事長 重里國麿

日本国に欠かせない人材の育成

(分析化学専門士・環境管理士)

文部大臣 西岡武夫 先生 文部大臣 西岡武夫 先生
創立記念品 西岡文部科学大臣寄贈
創立記念品 西岡文部科学大臣寄贈

新職業 新仕事の誕生

文部大臣 西岡 武夫

科学技術国家を推進するにあたり、研究、開発の重要性、 それに携わってこられた人達を支える地道な縁の下の仕事を、分析化学者の仕事として、 その内容を充実、確立して、新しい仕事として取組み、 これからの夢と希望のある新職業として人材の育成にご期待を申し上げる次第です。
(周年祝辞の一部より)

知的職業人の育成を目指して

豊富な知識・技能・品格を
有する人材の育成

(アナタを育てる分析学校)
(評価が上がり、地位も収入も増え)
(最高の仕事 分析化学専門士)

・化学会社でーOnlyOne
・化学分野でーSpecialist
・化学業界でーExpert

知的興奮に満ちた
分析化学者の学校

本校に入学を志す皆さん、決して人と同じでない自分の人生を築きませんか。夢中になれる何かを見つけて、楽しく学ぶ分析技術を身につけ、 二年後には確かな就職・仕事。分析化学専門士の活躍とその就職率は、卒業生の実績・就職先での活躍が証明しています。

ケミカルビジネスエリート

ケミカルビジネスエリート